クリスチーナの物語
ダバオ市内にあるアメリカの修道院が運営するNGOのパーカップから電話連絡が入った2003年の夏であった。子どもたちは7人兄弟姉妹で長女のクリスチーナ(当時13歳)を始め、女の子5名、男の子2名の兄弟姉妹はろくに食べるのも無く、貧しい家の中で静かに暮らしていた。事情を聞くとお父さんとお母さんが大喧嘩して先ずお母さんが蒸発、そしてお父さんも帰ってこない、この地域は立ち退きで強制的に他の貧しい地域から移り住んでいる人々で、特に貧しい人たちの集まった地域である。みんな一日自分の家族が食べることでぎりぎりのひとたちである。だからこの7人の兄弟姉妹を助けてくれる人は誰もいない、唯一NGOのメンバーが時々お米をくれる程度だ。そこで長女のクリスチーナが朝3時に起きて、パナカンの市場(地方の小さな市場)に行き、知り合いのおばさん(近所に人)の野菜販売を手伝い朝6時に家へ戻り小遣いの30ペソでお米を一キロかい最低限の塩、砂糖等を買い、またスープに市場で拾ってきた野菜の細切れを入れ、一日一食の準備を壊れかけの小さな鍋で作っていた。
そんな生活を数ヶ月続けているところで先のNGOから電話をもらった。アイダとNGOの職員と尋ねると、家の中に薄汚れた兄弟姉妹たちがそこにいた。実はお母さんはお父さんの家庭内暴力に耐えかねて出て行ったとも事、その後、父さんも他に愛人が出来て出て行ったとこと、その他にもここでは言えない悪い経験がもっともっとあったことも後々話てくれた。
その後、お姉ちゃんのクルスチーナに直ぐにハウスオブジョイの行こうといって支度をさせたが、持って行くものは何もなかった。『本当に貧しい人は自分の持ち物は何もない』
烏山
