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    恩人のシスターにインタビューしました

    25年前、旅していた私にHOJの存在を紹介してくれた恩人、カナダ人のシスター・オロー
    御年87歳で、ついにカナダに帰ることになりました。
    聖職者になってから58年間を海外で過ごして来たので、カナダで暮らすのは本当に久々とのことです。

    このシスターは33年前にフィリピンに来ているんですが、それ以前は日本で25年間、働いていました。
    仙台にある学校で先生をしていたとのことで、今でも日本語を驚くほどしっかり覚えていて、
    私が時々会いに行くと、とてもうれしそうに日本語で話してくれます。
    今回で会うのも最後になるかもしれない、と思い、一緒に食事しながら軽くインタビューさせてもらいました。

    Q: シスターはなんでシスターになろうと思ったんですか?
    A: 叔母がシスターでしてね。とても素敵な人で、こどものころからあこがれていたんです。
    Q: シスターになって、日本に来たのは修道会からの任命ですか?それとも自分で志願したんですか?
    A: 自分で志願しました。私がこどものころ、まだ世界は戦争をしていました。
    私が11歳の時に、その戦争はとても悲しい終わり方をしました。とても、とても日本は傷つきました。
    いつか、日本に行かなければならないと思ったんですよ。
    Q: 日本に来たのは1964年ですね。そのとき、どんな驚きがありましたか?
    A: 驚いたことはありません。全部、受け入れようと思ったからです。
    日本で暮らしていく上で、まずは自分の意見は言うべきではないと思いました。
    日本の人の丁寧さ、仏教にある「慈しみの心」、そういうものをきちんと知ったうえで、と思っていたので
    私が日本の人に意見みたいなことを言うようになるまで5年かかりました。
    Q: 学校の先生をしていたんですよね。キリスト教について教えていたんですか?
    A: いいえ、私がやっていたのは担任です。私が伝えたいキリストの教えは、授業で学べるものではありません。
    ひとりひとりの生徒と、じっくり時間を過ごして、いろんな相談に乗って、伝えていくものです。
    Q: どんな指導をしていたんですか?
    A: 私の働いた学校には、進学クラスと、そうでないクラスがありました。私は、一番成績のよくないクラスを担任しました。
    生徒たちは劣等感を持っていました。自分たちは先生たちに嫌われていると思っていて、だからいつも下を向いていました。
    私が生徒たちに教えたのは「顔をあげなさい。そして、先生たちになんでもいいから質問をしなさい」ということです。
    それだけで、まずは、先生たちの態度が変わりました。「シスターのクラスの生徒たちはとてもいい子たちですね」と言われるようになりました。
    先生たちに好かれている、と気づいた生徒たちは、それからすばらしい成長をしましたよ。

    海外で働く外国人としても、多言語話者としても、教師としても、人間としても、あまりのすばらしさに感動しました。
    こんな人が、私の人生が大きく変えるきっかけをくれた、ということが、とても誇らしいです。

    食事というか、パーティーの中で急遽思い立ってビデオを回させてもらったので周りの音などで聞き取りにくいですが、
    動画も抜粋でご覧ください。ほんの少しですが、シスターの丁寧な日本語から人柄が伝わるかと思います。

    ひょこひょことやってきた子猫が、たくさんの人がいる中で、まっすぐにシスターのもとに行き、横にくっついて離れなくなりました。
    「一緒に来ますか?カナダまで来ますか?寒いですよ?やめたほうがいいですね?」これまた、人柄のわかる一コマです。

    「あなたはフィリピンは何年目ですか?あなたはまだまだ若いですから、これからもっともっとフィリピンで働けますね。
    私は先に帰りますから、あとはお願いしますね」
    最後にシスターから、とても大事なバトンを受け取りました。
    次のだれかにバトンを渡すまで、私なりのかたちでしっかり走りたいと思います。


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