今日はアビゲルたち6兄弟を連れて隣町まで調査に行きました。
実は隣町の刑務所にお母さんがいる、というんです。
こどもたちの正確な生年月日や名前のつづりなど、学校が始まるにあたって必要な
書類がいろいろあるので、お母さんに会って直接話を聞こう、ということになったんです。
刑務所、と聞くと驚くかもしれませんが、フィリピンの田舎の刑務所はとてもオープンで、
かなり自由に面会に行けるし、差し入れなどもできるんです。
入口に「WELCOME!」って書いてあるくらいですからね。(笑)

半年ぶりにお母さんに再会!アビゲルもお母さんもとっても嬉しそうです!
HOJで働いていて幸せを感じる瞬間です。

さっそくいろいろ聞きとり調査をしたところ、
まず、年齢がみんな1~2歳上にサバを読んでいたことが判明。(笑)
ジョリーナ14歳、ロウィー12歳、アイアン9歳、シエラ8歳、アンジェロ6歳、アビゲル5歳でした。

そして、どういう理由でお母さんが刑務所にいるのかを聞いたところ、
びっくりするような答が帰ってきました。
「私は無罪が確定しているんだけど、拘留されている間に家も財産も全て勝手に
他人に売り払われてしまったので、ここを出ても暮らせない…だからしばらくここにいる」
無罪が確定しているのは刑務官の人に聞いても確かなので、
出所後の生活基盤さえどうにかなれば、すぐにでもここを出てこどもたちを引き取れるそうです。
まあ、その「生活基盤」がものすごく大変なんですけどね…。
話した感じまともそうなお母さんですし、なんとか一緒に暮らせるようにしてあげたいです。
福祉局やソーシャルワーカーの人脈を伝って、なんとかできることをしたいと思います。

お母さんとの面会を終えた後、みんなで海辺に行ってアイスクリームを食べました。
こんな遠足みたいなのはみんな初めてだったようで、とてもはしゃいでいました。

とてもかわいい、素直で賢いこどもたちなので、ずっとHOJにいてくれたら楽しいな、
と思うんですが、やっぱり親と一緒に暮らせた方がいいに決まっています。
「あくまでもHOJは最後の手段」という心構えで、今後ともやっていきたいと思います!
新しい小学校の制服の仕立てが半分くらい終わりました!
めちゃくちゃかわいいです!!

まるでどこかの私立学校のようで、スタッフたちも「金持ちの子に見えるわね!」と嬉しそうです。
みなさんからの支援のおかげで、仕立てることができました。本当に感謝しています!
ジョリーナのはスカートが大きすぎたので、作り直し。なので上半身だけの写真です。(笑)

ちなみに男の子たちは今まで通りでいいそうです。(笑)
まあ、古今東西、男の制服なんてそんなもんですよね。

ただ、両手放しで喜んでもいられないのが、
新しい制服を準備できないという理由で学校に通えない子がいるという事実です。
まだ表面化はしていませんが、これからそういう話が少しずつ出てくるはずです。
もしまとまった人数のそういう子たちが見つかったら、制服を支給するプロジェクトを立ち上げようかと思っています。
そのときはみなさん、ご協力よろしくお願いします!
夕方、アビゲルがちょこちょことやってきて私の前にちょこんと座り、
おもむろに赤い糸を取り出すと、私の小指に巻き付けだしました。(笑)

なんだか意味深で、ほどくのもアレなので、まだ巻きついたままなんですけど、どうしましょうかね?(笑)
そろそろ水浴びしたいんだけどなあ。
用事があってダバオに来ており、更新が滞っております。すみません。
何をしていたのかと言うと、昔のよしみで、「日系人のインタビュー」に同行していたんです。
日系人の話はHOJとは直接関係ありませんが、ミンダナオ島という場所の歴史を知る上で、
みなさんにも知ってほしいので、ブログに書きたいと思います。
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今回私たちが話を聞いた方は80歳のおばあさんで、「お父さんが日本人」という方です。
8歳のときに戦争が始まってすぐにお父さんを亡くし、山に隠れて暮らしていたそうです。
日本人の血が入っていることが周りに知れると「敵か!」と虐められるので、日本語を封印し、
家族の写真などもすべて捨てて隠れるように暮らしていた日系人がたくさんいたんです。
でもそんな状況は80年代に一変し、日系2世は日本国籍を認められ、
3世までが日本に出稼ぎに行けることになりました。
隠れていた日系人たちがたくさん「私は日系人です!」と名乗りを挙げました。
しかし日本語が話せない、家族の写真や手紙などの証拠を持たない日系人たちの多くは
日本の役所からすれば「自称日系人」でしかなく、日本国籍を認められることはありませんでした。
今回お話を聞かせてもらったおばあさんも、この、国籍を認められなかった日系人なんです。
取材に対して彼女は「わたしは日本人。死ぬまでに私が日本人だということを認めて欲しい…」と語りました。
そして「お父さんの思い出の歌」と言って、歌を歌ってくれました。
その歌詞はかなり曖昧になっていましたが、ところどころ、ちゃんと日本語に聞こえました。
「みなとのあかり」「むらさきの」「ああ、ああ」…
ネットで検索してみたら、これ、1937年に流行した「支那の夜」という有名な歌なんですね。
その後、美空ひばりさんもカバーしているので、みなさんの中にも知っている方は多いんじゃないでしょうか。
お父さんを亡くしてから70年以上、彼女は思い出としてこの歌を大事に歌い続けてきたそうです。
気持ちや思いを一生に渡って保存する究極のインフォメーション・テクノロジー。
歌ってすごいですね!
彼女の「私を日本人だと認めてほしい」という思いが、叶いますように…。