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エピソード1 私とハウスオブジョイの出会い1
CATEGORY : ハウスオブジョイ日記
日本に来ているので、「日記」は少しお休みして、エピソードを紹介していきます。
まずは手始めに、自己紹介を兼ねて、「私とハウスオブジョイの出会い」です。
そういえば、このブログを書いている自分の紹介は、あまりしてませんでしたからね。
1996年、大学1年生のときに私は初めてフィリピンに来ました。
こどもの頃からカトリック教会に連れて行かれていた私は、神父さんの紹介で
ミンダナオ島の東のはずれの町の職業訓練校に「ボランティア」として1ヶ月滞在し、
ヤギを飼うためのフェンスと小屋をつくる作業に携わってました。
そのときに私が感じたのは自分にはいかに何もできないか、ということでした。
草刈や穴掘りやセメントをこねることが、フィリピンの若者よりも得意なはずがないのです。
私は苦手なものは苦手だとあきらめるほうなので、せめて得意なことで人を喜ばせようと思って、
村中の人の似顔絵を描いたり、変な楽器を弾いて即興で歌を歌ったりしてました。
そんなときに、その町に日本人のシスターが住んでいることを知り、訪ねることにしました。
70歳を超えたシスターはとても暖かく歓迎してくれて、カレーをごちそうしてくれました。
なれない肉体労働で疲れきっていたときに、涙が出るほどおいしかったのを覚えています。
「そういえば、今度このとなりの村でね、日本の人が孤児院を始めるんですよ。」
そのときのシスターのこの言葉で、その後の私の人生はずいぶん変わりました。感謝してます。
それから1年後、私はまたフィリピンに来ていました。
今度は「ボランティア」ではなく「旅行」です。マニラからダバオまで、
知り合いの知り合いの知り合いみたいな人を頼りつつ、バスで旅行して回ったんです。
このときの旅は本当におかしなことがたくさん起きたので、人に話したくてしょうがないんですが、
まあ、これはまた別の話。私に会ったときにでも聞いてやってください。
さて、私はシスターのところに顔を出し、孤児院の話がどうなったかを聞きました。
ハウスオブジョイという名前、カラスヤマという名前を聞き、電話番号も教わりました。
そして私は教わった電話番号に、町の公衆電話からダイヤルしました。
「Hello」
「ハ、ハロー。アイアムジャパニーズ。キャナイトーク、ミスターカラスヤマ?」
「ああ、日本の方ですか?」
「あっ、はい。旅行中の学生で、サワムラといいます。マティにいるシスターに孤児院のことを聞いて…」
「ああ、はいはい。シスターから聞いてます。はいはい。大丈夫ですよ。私長崎の出身ですから。」
「えーと、どうやって行けばいいですか?」
「じゃ、ダバオで待ち合わせましょう。ビクトリアプラザの噴水、分かりますか?」
「行ったことないですけど、行けばわかるような場所なら行けると思います。」
「じゃ、そこで会いましょう。明日の10時に。大丈夫ですよ、私長崎の出身ですから。」
なぜ長崎の出身だと大丈夫なのかよく分からないですけど、
なんとなく大丈夫そうだなと思ったのをよく覚えています。
きっと烏山さんは覚えてないでしょうけど。(笑)
思ったより長くなりました。続きはまた今度!
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