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    ダバオに移民した日本人が娘へ残した遺書

    出張中の話ばかりになりますが、あまりにも印象的な話なので、ここに書かせてもらいます。
    今、私は日系人の方々のインタビューなどをして回るテレビ番組の通訳で一緒に回っているんですが、
    「日本人のお父さんが、娘に残した遺書」を今日、見せてもらいました。

    達筆、旧仮名遣いなので読みづらいところも多いですが、大意は以下の通りです。
    ・お前は日本人の子なのだから、天照大神の子孫である天皇と同じ血が流れていることに誇りを持て。
    ・日本人らしく立派に生活し、お母さんのことを大事にしなさい。
    ・大きくなったら、いつか必ず私のふるさとである東京の以下の住所を訪ねなさい。
    ・日本語を普段から使って暮らしなさい。
    ・どんな宗教を選んでも良いけれど、お母さんとは一緒に宗教にしなさい。
    そして、宗教と日本の祖先、天皇を敬うことは別のことなので、両方大事にしなさい。
    ・大きくなったら男性と交際することもあるだろうけど、日本の女性らしく振舞いなさい。
    ・お母さんの喜ぶような男を選びなさい。そして、天皇を敬える男を選びなさい。
    ・もし貧しい生活をすることになったとしても、心は豊かに、清らかでいなさい。
    ・私の意志をつぎ、日本とフィリピンの架け橋(原文では「くさび」)となりなさい。
    ・よりよい人生のため、なるべく高い教育を受けなさい。

    (写真は別の家族のものです)
    日本から身一つで渡ってきて、現地の女性と結婚し、山を開拓して農業を興し、
    経済的にも成功をおさめていたところに、「フィリピンを占領しているアメリカを追い出してやる」という名目で
    日本軍が攻めてきて、このお父さんは、「義勇軍」の名のもとに半強制的に軍に編入されました。
    その際、生きて戻れないことをお父さんは覚悟していたのでしょう。この手紙を娘に残したんです。

    この、当時の時代精神にからめとられた価値観と、本人の生真面目さと、その中でも見せるリベラルな考えと、
    妻と娘への想いが本人の心の中でせめぎ合っている様子が伝わってきて、とても胸を打たれました。

    日本軍の敗走後、残された妻と娘は、日本人の妻だ、娘だということが周りに知れると
    命の危険もあるくらいに現地で日本軍は恨まれていたので、山中に逃れ、身分を偽って生活することになりました。
    もちろん、遺書に書かれているような「日本語を使って暮らす」「日本人らしく振舞う」なんていうことはできませんでした。

    それでも、多くの日系人が身分を隠す証拠隠滅のために手紙や写真を全て燃やしたり埋めたりした中、
    娘さんたちはこの手紙を大事にし続けました。日本の文字を忘れ、日本語を忘れ、内容は理解できなくなっても、
    この手紙だけは、大事に保管していたんです。

    明日、明後日もいろいろな方の話を聞くことになります。
    彼らの話が、なるべく正確に、きちんとメディアに届くように、通訳という仕事を全うしたいと思います。


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