出張最終日は、戦争で離ればなれになってしまった親族を探すために日本から来た方に同行しました。
80年以上前の記憶を頼りに、たぶんここだと思う、という海や、家があった場所を巡りました。

なかなか有益な情報が得られないまま、地元の役所へ。
「ひょっとすると役所に書類が残っているかもしれない」とのことですが、
つい数年前に生まれたこどもたちの出生証明書でさえ、紛失していて見つからないようなことがよくあるのが、
フィリピンの田舎の役所です。私はたぶん無理だろうと思いながらも、立場は「通訳」ですから、意見は言わずに同行しました。

最初は怪訝な顔をしていた役所のスタッフたちですが、
「この人は日本人なんだけど、この町で戦前に生まれてるんだ。
で、この人は日本に帰れたんだけど、弟さんや妹さんはこっちに取り残されたんだ。
昔この町に住んでたことは間違いないんだけど、ご本人や、きょうだいの書類って残ってないですかね?」と事情を説明すると、
「え?この人が?本人なの?え?何歳?え?90歳越えてるの!本当に?」と興味津々。スタッフ総出で大捜索が始まりました。


出張で日系人の調査に通訳として同行しているんですが、今日はすごい出会いがありました。
戦後、フィリピンに取り残された「日本人のこどもたち」の多くが、日本に恨みを持つフィリピンの人たちに
殺されてしまうことになったそうなんですが、そんな日本のこどもたちをかくまって、養子にして育てた人たちがいました。
「バゴボ」という、いわゆる先住民族と呼ばれる人たちです。

私はこのバゴボという名前には聞き覚えがありました。
そう、烏山さんが協力隊時代にコンビを組んで働いていた地元の若者のリーダー、アマドさんが、
バゴボのリーダーだったと聞いたことがあったんです。
ただ、同じ「バゴボ」という名前でも、ダバオの内陸部と、ダバオオリエンタルでは、車で4時間以上の距離。
前から「本当に同じグループなのだろうか?」と疑問に思っていたんです。

それが今日、ダバオのバゴボ族のリーダーであると同時に、日系人でもあるジェシーさんとお会いして、謎が解けました!
彼によれば、「バゴボ」というのは5つの氏族をまとめた総称で、彼が属するダバオのグループは「クラタ」、
烏山さんの親友アマドさんが属していたダバオオリエンタルのグループは「タガバワ」、
お互いに別のグループではあるけれど、同じ「バゴボ」の同胞とのことです。そうだったのか!!

ジェシーさんに烏山さんとアマドさんの話をして、アマドさんが交通事故で亡くなって、
その息子たちを引き取ることにしたことがハウスオブジョイをはじめるきっかけだったんだ、と話したら
「アマド…バンカスだろう?知ってるぞ!確か私の祖父母の結婚式にバンカス家も来ているはずだ!」と大喜びでした。
写真はちょっと不鮮明ですが、その結婚式の写真です。

戦争直後、孤児になった日本のこどもたちをバゴボの人たちが助けくれていた。
それから50年後、孤児になったバゴボのこどもたちを、日本人が助けたことで、ハウスオブジョイが始まった。
何か、運命的なものを感じます。
このことは、ぜひ忘れずに語り継いでいきたいと思います。
出張でダバオに来ています。丸一日通訳をして回り、やっと今ホテルに到着しました。
いやー、今日もすごい話がたくさん聞けたんですが、まあその話はまた今度、ということで。
今日は、きのうのウラワビーチでイージェイが描いた絵をご覧ください。まずは絵の基本、ひとの顔!
うん、ちゃんと目と口があるべき場所に描いてあって、砂浜に木の枝で4歳児が描いたにしてはなかなかの出来です。

さらに、その顔に手と足をつけました。頭から直接手足が生えている、まさに、幼少期の子が描く「頭足人」というやつです。
これ、世界中のどこの地域でも、3~4歳児に人間の絵を描かせると、高確率でコレになるらしくて、
「人間の認知のメカニズム」を解明するための鍵とされてたりもするんですよ。

身体もお手本を見せれば描くのかな?と思って、雪だるまに手足をはやしたような絵を描いて見せたんですが、
それは完全に無視されて、こんどはとっても足の長い人間を描きました。誰?と聞いたらこれ、私だそうです。
なるほど、さっきのは小さいからイージェイで、こっちは大きいから私、ってことなのか。これは嬉しい!
砂を切り取って持って帰って接着剤で固めて額に入れて飾りたいくらいですが、無粋なのでやめておきます。(笑)

そして最後に、こちらはイージェイが描いた「ブタ」。
ちょっと足の数が多い気もしますが、横長の身体、目の位置、尻尾など、よく動物のかたちが描けてます。
これは今後の成長に期待が持てちゃいますよ?

とまあ、出張先でイージェイの絵を見て、ニヤニヤしながらこの文章を書きました。
明日も朝から仕事なので、久々にお湯のシャワーを浴びてぐっすり寝ます!