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ユキちゃん滞在中
CATEGORY : ハウスオブジョイ日記
ユキちゃんが又来てくれました。今年の夏休みには仕事が入っていてこれない為
この春に3週間も休みを取って来てくれました。
子供たちの大切なお姉さんです。13年間、変わらない愛をありがとう。

日本からのお土産を一人一人に配ってくれました。

ユキちゃんの貴重な思いでもビデオでとっています。

みんなで記念撮影、これからの3週間みんなとどんな思い出が出来るか
楽しみです。

ダバオで定年退職後夫婦でお暮らしの小林さんはじめ
5名の方がハウスオブジョイを訪れてくれました。
皆さんとてもお元気で子供たちと一緒に遊んでくれました。
いつでも遊びに来てください。

左から木下君(関西外大)と中央が千葉ゆきえさん(高校教諭)とダバオ在住の皆さん
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06
エピソード2 私とハウスオブジョイの出会い2
CATEGORY : ハウスオブジョイ日記
次の日、ビクトリアプラザで出会った烏山夫妻と私は、
アンフラという白いジープのような車でハウスオブジョイに向かいました。
車の中で長淵剛のカセットテープがかかっていました。
私は高校生のとき、ギターを持って歩いていたら20人の不良たちにからまれて、
彼らのカラオケ大会の伴奏係をやらされたことがあり、そのとき以来、長淵剛と尾崎豊が苦手でした。
まあ、初対面でそんなことを言うわけにもいかず、長渕を聞きながら、
烏山さんがハウスオブジョイを始めた経緯や、どんなこどもたちがいるのかを聞きました。
壮絶な話でした。
約3時間でハウスオブジョイに到着。当時は15人のこどもがいました。
建物はまだ2棟だけで、片方はこどもたちの家、もう片方は烏山さんの居棟「クボタ」でした。
始まってほどないハウスオブジョイには、まだ今のようにビジター慣れした雰囲気はありません。
こどもたちも「なんだろう、この兄ちゃん?」という怪訝な感じで遠巻きにこっちをうかがってました。
まあ、そうはいっても人懐っこいフィリピンのこどもたちです。
すぐに打ち解けて、いっしょに遊び始めました。
そのとき5歳だったラブラブが、自慢げに数を英語で100まで数えるのを、
20分くらいそばにいて聞きながら
あ、私がやりたいのはこういうことなのかもしれない、と考えていました。
クレヨンと紙を取り出し、最初にラブラブの似顔絵を描きました。大喜びされました。
次に、ドを描きました。そのくらいのときに烏山さんが様子を見にやってきて、
そのドの絵をえらく気に入ってくれて、どうせなら全員描いていってよ、ってことになりました。
もとよりそのつもりだったのですが、ちょうど紙が足りなかったので、
アイダさんのお姉さんのオフィスに紙をもらいに行きました。
そこで当時市長だったティナさんとも会いました。
まだシャロームハウスもシスターハウスもコンベンションホールもなかったので、
夜はクボタハウスの居間の部分で、歓迎会をやってくれました。
そのときに私はギターを弾きながら、「リンダリンダ」を歌いました。
調子に乗って飛び跳ねて歌っていたら、ギターのヘッドでジェニーボーイの頭を殴っちゃいました。
それでもみんなで大笑いしながら、一緒にピョンピョン飛び跳ねたのを、今でもはっきり覚えています。
夜はティナさんの家のゲストルームに泊めてもらいました。
とてもいい部屋でしたがなぜかやたら蠅が多くて、
持っていた輪ゴムで10匹くらいしとめたのを覚えています。
次の日は朝早くから、まだ描いていない子たちの似顔絵を描いたり、さんご礁で泳いだりしました。
さんご礁で泳ぐのはそのときが生まれて初めてでした。
そのさんご礁のそばにこれから「シャローム」という名の
ゲストハウスを作るのだという話を烏山さんがしました。
ハウスオブジョイに戻り、昼食をとりに学校から戻ってきたエレンジョイやボボンの絵を描き、
全員の顔を描き終えてから、私はハウスオブジョイを出て、ダバオに向かいました。
ダバオに戻る途中の車の中で私はダバオに日本語教育をやっている小学校があることを
烏山さんから教わり、行ってみたいということで、その学校のそばで車から降ろしてもらい、
烏山さんと別れました。
ちなみにその学校で私はその後、7年ほど教師として働くことになのですが、
これもまた別の話。会ったときにでも聞いてやってください。
ふう、長くなりました。とにかく、私はこんなふうにハウスオブジョイに出会いました。
今、スタッフとしてハウスオブジョイで働いていて、当時の自分と同じ年頃の学生たちが
ハウスオブジョイにくるのを、昔の自分を見るような、なんだか面映い気持ちで見ています。
今ハウスオブジョイに来た若者たちが、13年後に、どんな楽しい経験をして、
どんなおもしろいことをやるようになっているか、すごく愉しみです!
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03
05
エピソード1 私とハウスオブジョイの出会い1
CATEGORY : ハウスオブジョイ日記
日本に来ているので、「日記」は少しお休みして、エピソードを紹介していきます。
まずは手始めに、自己紹介を兼ねて、「私とハウスオブジョイの出会い」です。
そういえば、このブログを書いている自分の紹介は、あまりしてませんでしたからね。
1996年、大学1年生のときに私は初めてフィリピンに来ました。
こどもの頃からカトリック教会に連れて行かれていた私は、神父さんの紹介で
ミンダナオ島の東のはずれの町の職業訓練校に「ボランティア」として1ヶ月滞在し、
ヤギを飼うためのフェンスと小屋をつくる作業に携わってました。
そのときに私が感じたのは自分にはいかに何もできないか、ということでした。
草刈や穴掘りやセメントをこねることが、フィリピンの若者よりも得意なはずがないのです。
私は苦手なものは苦手だとあきらめるほうなので、せめて得意なことで人を喜ばせようと思って、
村中の人の似顔絵を描いたり、変な楽器を弾いて即興で歌を歌ったりしてました。
そんなときに、その町に日本人のシスターが住んでいることを知り、訪ねることにしました。
70歳を超えたシスターはとても暖かく歓迎してくれて、カレーをごちそうしてくれました。
なれない肉体労働で疲れきっていたときに、涙が出るほどおいしかったのを覚えています。
「そういえば、今度このとなりの村でね、日本の人が孤児院を始めるんですよ。」
そのときのシスターのこの言葉で、その後の私の人生はずいぶん変わりました。感謝してます。
それから1年後、私はまたフィリピンに来ていました。
今度は「ボランティア」ではなく「旅行」です。マニラからダバオまで、
知り合いの知り合いの知り合いみたいな人を頼りつつ、バスで旅行して回ったんです。
このときの旅は本当におかしなことがたくさん起きたので、人に話したくてしょうがないんですが、
まあ、これはまた別の話。私に会ったときにでも聞いてやってください。
さて、私はシスターのところに顔を出し、孤児院の話がどうなったかを聞きました。
ハウスオブジョイという名前、カラスヤマという名前を聞き、電話番号も教わりました。
そして私は教わった電話番号に、町の公衆電話からダイヤルしました。
「Hello」
「ハ、ハロー。アイアムジャパニーズ。キャナイトーク、ミスターカラスヤマ?」
「ああ、日本の方ですか?」
「あっ、はい。旅行中の学生で、サワムラといいます。マティにいるシスターに孤児院のことを聞いて…」
「ああ、はいはい。シスターから聞いてます。はいはい。大丈夫ですよ。私長崎の出身ですから。」
「えーと、どうやって行けばいいですか?」
「じゃ、ダバオで待ち合わせましょう。ビクトリアプラザの噴水、分かりますか?」
「行ったことないですけど、行けばわかるような場所なら行けると思います。」
「じゃ、そこで会いましょう。明日の10時に。大丈夫ですよ、私長崎の出身ですから。」
なぜ長崎の出身だと大丈夫なのかよく分からないですけど、
なんとなく大丈夫そうだなと思ったのをよく覚えています。
きっと烏山さんは覚えてないでしょうけど。(笑)
思ったより長くなりました。続きはまた今度!
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