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    06
    エピソード2 私とハウスオブジョイの出会い2

    次の日、ビクトリアプラザで出会った烏山夫妻と私は、

    アンフラという白いジープのような車でハウスオブジョイに向かいました。
    車の中で長淵剛のカセットテープがかかっていました。
    私は高校生のとき、ギターを持って歩いていたら20人の不良たちにからまれて、
    彼らのカラオケ大会の伴奏係をやらされたことがあり、そのとき以来、長淵剛と尾崎豊が苦手でした。
    まあ、初対面でそんなことを言うわけにもいかず、長渕を聞きながら、
    烏山さんがハウスオブジョイを始めた経緯や、どんなこどもたちがいるのかを聞きました。
    壮絶な話でした。
    約3時間でハウスオブジョイに到着。当時は15人のこどもがいました。
    建物はまだ2棟だけで、片方はこどもたちの家、もう片方は烏山さんの居棟「クボタ」でした。
    始まってほどないハウスオブジョイには、まだ今のようにビジター慣れした雰囲気はありません。
    こどもたちも「なんだろう、この兄ちゃん?」という怪訝な感じで遠巻きにこっちをうかがってました。
    まあ、そうはいっても人懐っこいフィリピンのこどもたちです。
    すぐに打ち解けて、いっしょに遊び始めました。

    そのとき5歳だったラブラブが、自慢げに数を英語で100まで数えるのを、
    20分くらいそばにいて聞きながら
    あ、私がやりたいのはこういうことなのかもしれない、と考えていました。
    クレヨンと紙を取り出し、最初にラブラブの似顔絵を描きました。大喜びされました。
    次に、ドを描きました。そのくらいのときに烏山さんが様子を見にやってきて、
    そのドの絵をえらく気に入ってくれて、どうせなら全員描いていってよ、ってことになりました。
    もとよりそのつもりだったのですが、ちょうど紙が足りなかったので、
    アイダさんのお姉さんのオフィスに紙をもらいに行きました。
    そこで当時市長だったティナさんとも会いました。
    まだシャロームハウスもシスターハウスもコンベンションホールもなかったので、
    夜はクボタハウスの居間の部分で、歓迎会をやってくれました。

    そのときに私はギターを弾きながら、「リンダリンダ」を歌いました。
    調子に乗って飛び跳ねて歌っていたら、ギターのヘッドでジェニーボーイの頭を殴っちゃいました。
    それでもみんなで大笑いしながら、一緒にピョンピョン飛び跳ねたのを、今でもはっきり覚えています。
    夜はティナさんの家のゲストルームに泊めてもらいました。
    とてもいい部屋でしたがなぜかやたら蠅が多くて、
    持っていた輪ゴムで10匹くらいしとめたのを覚えています。
    次の日は朝早くから、まだ描いていない子たちの似顔絵を描いたり、さんご礁で泳いだりしました。
    さんご礁で泳ぐのはそのときが生まれて初めてでした。
    そのさんご礁のそばにこれから「シャローム」という名の
    ゲストハウスを作るのだという話を烏山さんがしました。
    ハウスオブジョイに戻り、昼食をとりに学校から戻ってきたエレンジョイやボボンの絵を描き、
    全員の顔を描き終えてから、私はハウスオブジョイを出て、ダバオに向かいました。

    ダバオに戻る途中の車の中で私はダバオに日本語教育をやっている小学校があることを
    烏山さんから教わり、行ってみたいということで、その学校のそばで車から降ろしてもらい、
    烏山さんと別れました。
    ちなみにその学校で私はその後、7年ほど教師として働くことになのですが、
    これもまた別の話。会ったときにでも聞いてやってください。

    ふう、長くなりました。とにかく、私はこんなふうにハウスオブジョイに出会いました。
    今、スタッフとしてハウスオブジョイで働いていて、当時の自分と同じ年頃の学生たちが
    ハウスオブジョイにくるのを、昔の自分を見るような、なんだか面映い気持ちで見ています。
    今ハウスオブジョイに来た若者たちが、13年後に、どんな楽しい経験をして、
    どんなおもしろいことをやるようになっているか、すごく愉しみです!

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