用事があってダバオに来ており、更新が滞っております。すみません。
何をしていたのかと言うと、昔のよしみで、「日系人のインタビュー」に同行していたんです。
日系人の話はHOJとは直接関係ありませんが、ミンダナオ島という場所の歴史を知る上で、
みなさんにも知ってほしいので、ブログに書きたいと思います。
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今回私たちが話を聞いた方は80歳のおばあさんで、「お父さんが日本人」という方です。
8歳のときに戦争が始まってすぐにお父さんを亡くし、山に隠れて暮らしていたそうです。
日本人の血が入っていることが周りに知れると「敵か!」と虐められるので、日本語を封印し、
家族の写真などもすべて捨てて隠れるように暮らしていた日系人がたくさんいたんです。
でもそんな状況は80年代に一変し、日系2世は日本国籍を認められ、
3世までが日本に出稼ぎに行けることになりました。
隠れていた日系人たちがたくさん「私は日系人です!」と名乗りを挙げました。
しかし日本語が話せない、家族の写真や手紙などの証拠を持たない日系人たちの多くは
日本の役所からすれば「自称日系人」でしかなく、日本国籍を認められることはありませんでした。
今回お話を聞かせてもらったおばあさんも、この、国籍を認められなかった日系人なんです。
取材に対して彼女は「わたしは日本人。死ぬまでに私が日本人だということを認めて欲しい…」と語りました。
そして「お父さんの思い出の歌」と言って、歌を歌ってくれました。
その歌詞はかなり曖昧になっていましたが、ところどころ、ちゃんと日本語に聞こえました。
「みなとのあかり」「むらさきの」「ああ、ああ」…
ネットで検索してみたら、これ、1937年に流行した「支那の夜」という有名な歌なんですね。
その後、美空ひばりさんもカバーしているので、みなさんの中にも知っている方は多いんじゃないでしょうか。
お父さんを亡くしてから70年以上、彼女は思い出としてこの歌を大事に歌い続けてきたそうです。
気持ちや思いを一生に渡って保存する究極のインフォメーション・テクノロジー。
歌ってすごいですね!
彼女の「私を日本人だと認めてほしい」という思いが、叶いますように…。