HOJに住んでいるこどもたちは、全員「孤児」というわけではありません。
さまざまな理由で親と一緒に暮らせないので、HOJに住んでいるんです。
その「さまざまな理由」の1つに、「親があまりにも貧困なため」というケースがあります。
仕事をせずに物乞いをしている親と一緒に暮らしていると、
一緒に物乞いをすることになり、結果としてその子も物乞いしかできないことになってしまう…
ということで、福祉局に保護されて施設に入ってくるわけです。
今日はそんな「物乞いのお母さん」の話です。(今日の写真は本人ではなくイメージです)
そのお母さんはまさに「筋金入りの物乞い」です。
若いころからほとんど仕事をしたことはなく、ずっと物乞いで生きてきたそうです。
物乞い歴も30年以上になる彼女は、どこに行けば施しを受けられるかを熟知しており、
月曜は丘の上の修道院、火曜は海辺のお金持ちの家、水曜はディスコの前…
というようにスケジュールを組み、お金をもらえる場所、米をもらえる場所、
野菜をもらえる場所、余った魚を分けてもらえる場所、というように、
必要に応じていろいろなところを回って物乞いをして暮らしています。
そんな彼女が、最近「仕事をしている」というのです。
一体どんな仕事だろう…と思って聞いてみたら、びっくりするような内容でした。
「病院の前でね、処方箋持って途方にくれてる人に声をかけるのさ。
家族の病気を直すのに、3万円の薬が必要です、なんて処方箋を持って、
途方に暮れてる人にね。もちろん、そんなお金、払えるわけがないさね。
そしたらどうする?物乞いするしかないのさ。
でも、物乞い、ったってそんな額を集めるのは簡単じゃない。
そんな、昨日今日物乞いを始めたようなやつが、そんな金、集められるわけがないさ。
でもね、いいかい?あたしならできるのさ。
本物の処方箋なんてもんがありゃね、そのくらいは楽勝さ。
だからね、私が代わりに集めてやるのさ。多少のお駄賃をもらってね。」
そう、彼女は「プロ」として、物乞いを「代行」しているんです。
彼女がお金を集めたおかげで、助かった命もあるのかもしれません。
そう思った瞬間、物乞いの彼女が、急に神々しく思えました。
物乞いという行為を肯定するわけではありませんが、
ひょっとしたら物乞いというのも1つの職能であり、都市機能であり、
人間の才能なのかもしれない…と、再考する余地はあるのかもしれません。
「すべての人に価値がある。」
そんなことを考えさせられる話でした。