• 06
    10
    新しい制服の初お目見え!

    新しい小学校の制服の仕立てが半分くらい終わりました!
    めちゃくちゃかわいいです!!
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    まるでどこかの私立学校のようで、スタッフたちも「金持ちの子に見えるわね!」と嬉しそうです。
    みなさんからの支援のおかげで、仕立てることができました。本当に感謝しています!

    ジョリーナのはスカートが大きすぎたので、作り直し。なので上半身だけの写真です。(笑)
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    ちなみに男の子たちは今まで通りでいいそうです。(笑)
    まあ、古今東西、男の制服なんてそんなもんですよね。
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    ただ、両手放しで喜んでもいられないのが、
    新しい制服を準備できないという理由で学校に通えない子がいるという事実です。
    まだ表面化はしていませんが、これからそういう話が少しずつ出てくるはずです。

    もしまとまった人数のそういう子たちが見つかったら、制服を支給するプロジェクトを立ち上げようかと思っています。
    そのときはみなさん、ご協力よろしくお願いします!

    夕方、アビゲルがちょこちょことやってきて私の前にちょこんと座り、
    おもむろに赤い糸を取り出すと、私の小指に巻き付けだしました。(笑)
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    なんだか意味深で、ほどくのもアレなので、まだ巻きついたままなんですけど、どうしましょうかね?(笑)
    そろそろ水浴びしたいんだけどなあ。


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    06
    09
    日系人調査に行っていました

    用事があってダバオに来ており、更新が滞っております。すみません。

    何をしていたのかと言うと、昔のよしみで、「日系人のインタビュー」に同行していたんです。
    日系人の話はHOJとは直接関係ありませんが、ミンダナオ島という場所の歴史を知る上で、
    みなさんにも知ってほしいので、ブログに書きたいと思います。
    ※※※※※※※※※※※※
    今回私たちが話を聞いた方は80歳のおばあさんで、「お父さんが日本人」という方です。
    8歳のときに戦争が始まってすぐにお父さんを亡くし、山に隠れて暮らしていたそうです。

    日本人の血が入っていることが周りに知れると「敵か!」と虐められるので、日本語を封印し、
    家族の写真などもすべて捨てて隠れるように暮らしていた日系人がたくさんいたんです。

    でもそんな状況は80年代に一変し、日系2世は日本国籍を認められ、
    3世までが日本に出稼ぎに行けることになりました。
    隠れていた日系人たちがたくさん「私は日系人です!」と名乗りを挙げました。

    しかし日本語が話せない、家族の写真や手紙などの証拠を持たない日系人たちの多くは
    日本の役所からすれば「自称日系人」でしかなく、日本国籍を認められることはありませんでした。
    今回お話を聞かせてもらったおばあさんも、この、国籍を認められなかった日系人なんです。

    取材に対して彼女は「わたしは日本人。死ぬまでに私が日本人だということを認めて欲しい…」と語りました。
    そして「お父さんの思い出の歌」と言って、歌を歌ってくれました。
    その歌詞はかなり曖昧になっていましたが、ところどころ、ちゃんと日本語に聞こえました。
    「みなとのあかり」「むらさきの」「ああ、ああ」…

    ネットで検索してみたら、これ、1937年に流行した「支那の夜」という有名な歌なんですね。
    その後、美空ひばりさんもカバーしているので、みなさんの中にも知っている方は多いんじゃないでしょうか。

    お父さんを亡くしてから70年以上、彼女は思い出としてこの歌を大事に歌い続けてきたそうです。
    気持ちや思いを一生に渡って保存する究極のインフォメーション・テクノロジー。
    歌ってすごいですね!

    彼女の「私を日本人だと認めてほしい」という思いが、叶いますように…。


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    06
    07
    NOIZ奨学生のミーティングを行いました

    今日は朝から奨学生たちを集めてミーティングでした。
    16年前に近隣の学校に通えない子たちを支援するためにはじまった「カシンカシン奨学金」ですが、
    現在は資金提供してくれているロックバンド宇宙戦隊NOIZの名をとって、「NOIZ奨学金」と呼ばれています。
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    フィリピン政府もこどもの就学率の低さに対して何の対策もしていないわけではなく、
    サンイシドロ地域でも行政からのサポートで小学校に通える子が増えてきています。
    しかしその一方でハイスクールが4年制から6年制になったことで
    ハイスクール中退者」がものすごく増えているのも事実です。
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    ということで、昔は100人以上の小学生をサポートしていた奨学金ですが、
    近年は高校生、そして大学生のサポートに重点をシフトし、
    そのぶん1人あたりにかかるお金も大きいので、人数は70人程度になっています。
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    今日のミーティングでは奨学金プログラムの概要を説明してから
    みんなで宇宙戦隊NOIZのDVDを見て、一緒に歌ってから1年分の文房具をひとりひとりの子に渡しました。
    フィリピンの学校は「授業料」は無料でも、文房具や学級費などの修学費用が払えなくて
    修学を断念するケースが多いんです。
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    今後も貧困の連鎖を断ち切るために、若い世代の教育に力を入れていきたいと思います。
    みなさん応援よろしくお願いします!

    (カメラが故障して修理に出しているところなので、携帯で撮った写真です。いまいちな写真ばかりですみません…)


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