いつもタブレットで絵を描いたり写真を編集したりしているジェレミーとジャンデルですが、
それを見てリッキーBが「それ何やってんの?俺にも教えてよ」と言ってきました。
さっそく2人がかりで「ここをね、こうやって、こうすると…ほら、こうなってね」と
手取り足取り教えてたんですが、10分もしないうちにリッキーBは
「うん、分かんねえ!薪割りしてくる!」と出ていきました。うん、君はそれでいい。(笑)
チムレイの長い謹慎期間をついに終了!いやー、長かったです。
まあ、1つ悪さをしただけじゃなく、それを隠したり、嘘をついて人のせいにしようとしたりと
いろいろと悪さを重ねちゃったので、こんなに長くなっちゃったんです。
「すぐ報告して謝ったほうが早く済む」は身に染みたようです。チムレイ、おかえり!
巻き込まれるようなかたちで一緒に謹慎になっていたネルジーも一緒に謹慎あけ。
これで本腰を入れて楽器を教えられます。結構リズム勘がいいので、今後に期待ですね。
今週に入ってから、カメラが壊れたり、チケットを買おうと思ったらサイトの都合でカード決済できず、
あれこれ試してるうちに値段が3万円も跳ね上がったり、冷凍庫の残り肉でスープを作って食べた後、
さらに余った肉を猫用に調理してやったら2匹揃って一口も食べなくて自分のお腹が心配になったりと、
なんだか不運なことが続いてますが、イージェイの笑顔が全部帳消しにしてくれます。
すったもんだありましたが、やっとチケットも取れたので、10/15~11/21の5週間、日本行き決定です!
あちこちの学校での講演が主ですが、一般の方でも参加できるイベントは告知していきますので
更新をお待ちくださいね!
昨日はジェレミーの15歳の誕生日でした。
2歳からHOJで育っているジェレミーがここまで大きくなったのは、本当にみなさんのおかげです。
ありがとうございます!
小さい頃から私の真似をして竹を削ったり、海で泳いだり、楽器を弾いたり、絵を描いたりしてきただけあって、
すっかり器用貧乏になっちゃってますが、学年が上がるにつれ、運動のできる子だけでなく、
文化系の男子もモテはじめてるようなので、その勢いにのって「これだ」という特技を見つけてほしいと思います。
ジェレミー、がんばれよ!
さて、HOJ卒業生のリッキーがやってきました。おかえり!
リッキーは先日亡くなったシアーノさんの介護要員としてマニラまで一緒に行って住み込みで働いていたんですが、
今回のことで雇用が終わり、「仕事なくなっちゃったんだけど、HOJで働ける?」と言ってきたんです。
支援してやりたいのはやまやまですが、同じく一緒に働いていた姉のカテリンの方は
「とっても真面目だから、今度はこっちで働いて!」とシアーノさんの親族の家での仕事が決まっているところを見ると、
あんまり勤務態度は褒められたものではなかったようで。
甘やかしすぎるのもよくないので、ちょっと時間をおいて、世の中の厳しさを知ってもらおうと思います。
リッキー、ちゃんとやりたいことを見つけたら応援するぞ!
先日、HOJとも関係の深い、元市長のシアーノさんがマニラの病院で亡くなりました。82歳でした。
HOJに何度も来ている方は「アイダさんのお姉さんが市長さん」というのを覚えているかと思いますが、
亡くなったのはそのお姉さんの旦那さんです。
1981年に烏山さんが青年海外協力隊員としてきた時は彼が市長さんだったんです。
シアーノさんの父親が中華系の移民で、この町を開拓し、市にまで発展させた「町の功労者」なんですが、
彼はその父親の地盤を引きついで市長になり、非常に温和で敵を作らない性格で、町の人たちに愛される存在でした。
エリート主義の父親の反対を押し切って、決して裕福な出自なわけではない、とても優秀な地元の女性と結婚、
その相手が、アイダさんのお姉さんだった、というわけです。
HOJのこどもたちを連れて弔問に行きました。
彼がいなければ烏山さんとアイダさんは出会っていなかったかもしれないことを考えると、
まさに影の功労者だったわけです。シアーノさん、本当にありがとうございました。
会場は集まる町の人たちと花でいっぱいで、あちこちですすり泣く声と共に
「俺はシアーノさんに借金したままだった」「いつも飲み会の金は全部出してくれた」
「私を大学まで行かせてくれたのは彼だった」「うちの母の手術代も出してくれた」
「彼のおかげで神学校を卒業できたのに、結婚して神父をやめてしまった、でも息子の名付け親になってくれた」など
数々のエピソードのおしゃべりで会場はにぎやかで、時には爆笑まで起こってました。
彼の人柄が会場によく表れていて、とてもいい葬儀だと思いました。
シアーノさんのご冥福を、みなさんもお祈りください。