幼稚園が午前中で終わるクリスタルは、午後は私のところにお昼寝しに来ます。
絵本を読んでると子猫もやってきて、だいたい一緒に寝ます。
今日は先に子猫が目を覚まして、クリスタルが起きて遊んでくれないか、待ってます。
ああ、かわいい。

さて、昨晩、就寝時間を過ぎてから、ジャスパーが走って私のところにやってきました。
緊急事態?誰かケンカでも始めたか?と思ったら、
「コヤシン!部屋にコレがいた!ヤドカリって海じゃなくても暮らせるの?」と
オカヤドカリを持ってきました。おお!めちゃくちゃ珍しいやつだぞ、それ!

「就寝時間を過ぎてる…でも気になる…怒られるかな…
いやでも、コヤシンはこれが理由なら怒らない気がする…」
ジャスパーにはそんな葛藤があったでしょうが、「これが理由なら怒らない」は見事に大正解。(笑)
ヤドカリが殻から出て来るまで15分くらい、2人でオカヤドカリについてネットで調べて過ごしました。
やっと姿を現して歩きはじめた時には2人で静かに大興奮でしたよ。

実際、私の中でも一瞬葛藤はありまして、「これは叱った方がいいのか?」とも思ったんですが、
就寝時間を過ぎていても、緊急時には当然、呼びに来ていいに決まっているわけで、
これは「緊急時とは何か」という問題で、「めったに見られない生物を発見した時の好奇心」は
十分、緊急時に値するのではないか、と思います。
ジャスパー!また何か見つけたら、夜中でも起こしていいからな!
言語にはたいてい、「同音異義語」というものがあります。日本語の「鼻・花」や、
英語の「right・write」などがそうです。
ご覧のように音は同じでも、別の漢字やスペリングにすることで誤用を避けていますが、
会話だけの場面だと、混同が生じる場合もまれに起きますよね。

ビサイヤ語にも同音異義語はありまして、私がよく混乱するのが「bomba」です。
音だけでなく表記も同じなんですが、「ポンプ」の意味と「爆弾」の意味があります。
これ、もともとのスペイン語がこうなんだそうですが、不便すぎませんか?

しかも、「ポンプ」という物の適用範囲がこれまた広くて、「井戸」「空気入れ」に加え、
「トイレのスッポン」も「bomba」でして。あげく、ビサイヤ語はこれを動詞化して
「水をくむ」「空気を入れる」「トイレの詰まりを直す」という意味で使えちゃうので、
「コヤシーン!Palihug Bomba!」と言われても、「水汲んで」なのか「空気入れ貸して」なのか
「トイレが詰まった」なのか分からないんですよ。(笑)

さらに、英語でギターを弾く人のことをギタリストと言うように、
ビサイヤ語も名詞から職業名を作ることができるんですが、「Bombero」と言えば
「ポンプの人」ということで、「消防士」のことを指すんですが、
「爆弾の人」で「爆弾魔のテロリスト」のことを指してる可能性だってあるわけです。
真逆じゃないか!(笑)

と、急にこんなことを言いだしたのは、最近、ジェレミーに日本語を教えているからです。
ちょうど基本語彙で「鼻と花」が出てきて、「なんで漢字を勉強しなきゃいけないのか」みたいな
話をしていて、そういえばビサイヤ語は…と思いだしたわけです。
同音異義語を「漢字」で分別する日本語、「スペリング」で分別する英語、
そして「文脈」で分別するしかないビサイヤ語。習得が一番厄介なのは、果たしてどれでしょうね?
最近は毎晩のように大雨が降るようになりました。おかげで敷地内の砂ぼこりもすっかり収まり、
畑の作物も緑色のツヤを取り戻しました。シマトウガラシも次々実をつけてます!

アルジーがスプーンを4本持って、「コヤシン!電池貸して!」と言ってきました。
「こうやってね、スプーンで囲いを作って、それぞれのスプーンに電池を置いて、
真ん中にコインを置いたら、クルクル回るんだって!本当かな?」
と、YoutubeだかTikTokだかで見た謎現象を検証したい、とのことでして。
おお、検証とはなかなかに科学的な姿勢じゃないか。ぜひやってみたまえ!

結果は…もちろん回りません。(笑)
そもそも電池の片側だけをスプーンに乗せても電流は発生しませんし、
電流が発生してスプーンが電磁石化したとしても、1ペソは磁石につく金属ではないので
(100円玉と同じく、銅とニッケルの合金です)、何も起きるはずがないんです。
ネットではちゃんと「これはフェイクだよ、コインを回して撮影したものを逆再生してるだけだよ」
という解説動画がすぐ見つかりまして、アルジーに見せたら「なんでこんな嘘つく人がいるの?」
と、直球な質問が来ました。うん、なんでだろうな?私にも分からないよ。

こどもの頃から生成AIや巧妙な編集によるフェイク動画が蔓延している中で育つと、
「本物と作り物の違い」をどう認識して成長していくのだろう?と不思議に思います。
私がウルトラマンやスター・ウォーズのフィクション性に気づいた時よりも、
各段に今の子たちは気づきにくいはずです。

何もかもを疑うようになると、それはそれで陰謀論にハマるような気もしますしね。
まっとうな「半信半疑」の姿勢はどう培っていくべきなのか。
うーん、こどもたちと一緒にプロレスの動画でも見ますかね?(笑)